「間に合った!」の快感は罠だった? ギリギリの電車が教えてくれた、人生を豊かにする「余白」の重要性

「プシューッ!」

目の前で閉まるドア。息を切らしながら電車に滑り込んだ瞬間、誰もが一度は経験したことがあるであろう、あの小さな勝利の感覚。「やった、間に合った…!」

先日、まさに僕がその主人公でした。家を出るのが少し遅れ、駅まで猛ダッシュ。階段を二段飛ばしで駆け上がり、発車メロディが鳴り響く中、なんとか車両に転がり込んだのです。

しかし、その安堵感は、ほんの一瞬で消え去りました。

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「間に合った」のに、休まらない心

電車が動き出すと、僕の心はまったく落ち着きませんでした。それどころか、新たな不安が次々と押し寄せてきたのです。

「この電車、本当に定刻通りに着くかな?」
「乗り換え、1分しかないけど大丈夫か?」
「人身事故や遅延があったら、もう完全にアウトだ…」

僕はスマホを取り出し、何度も時計を確認し、乗り換え案内アプリを再起動する。窓の外の景色を楽しむ余裕なんて、まったくありません。目的地に着くまでの30分間、僕はただひたすら「時間通りに進むこと」を祈り続ける、ハラハラドキドキの時間を過ごす羽目になったのです。

ふと、思いました。もし、あと5分早く家を出ていたら、どうだっただろう?

きっと、悠々とホームで電車を待ち、好きな音楽を聴きながら、あるいは本を読みながら…きっと、悠々とホームで電車を待ち、好きな音楽を聴きながら、あるいは本を読みながら、穏やかな気持ちで移動時間を過ごせていたはずです。

この経験は、単なる「遅刻しそうになった」という話ではありません。私たちの日常生活や仕事、そして人生そのものにも通じる、非常に重要な教訓を教えてくれました。

「心理的コスト」の正体

あのハラハラした30分間、僕は無意識のうちに大きな「コスト」を支払っていました。それは、心理学でいう「認知資源(Cognitive Resources)」の浪費です。

認知資源とは、私たちが物事を考えたり、判断したり、集中したりするために使う、脳のメンタルエネルギーのこと。これは有限で、使えば使うほど消耗します。

ギリギリの電車に乗った僕は、「遅れないか?」という一点に認知資源を全集中させていました。その結果、どうなったか。

  • 創造性の低下: 新しいアイデアを思いついたり、物事を多角的に見たりする余裕がなくなる。
  • 判断力の鈍化: もし本当に遅延が起きた時、冷静に最適な代替ルートを判断できたか怪しい。
  • 感情の不安定化: 小さなことでイライラしやすくなる。

つまり、物理的には「間に合った」としても、その裏で「心の余白」という貴重な資産をすり減らしていたのです。これは、締め切りギリギリで仕事を仕上げた時も同じ。なんとか間に合わせても、その後の会議で頭が回らなかったり、良い意見が出せなかったりするのは、この認知資源の枯渇が原因かもしれません。

なぜ私たちは「ギリギリ」を繰り返してしまうのか?

では、なぜこんなにも心理的コストが高いとわかっていながら、私たちはギリギリの行動を選んでしまうのでしょうか。そこには、人間の面白い(そして少し厄介な)心理が隠されています。

  1. 計画の誤謬(Planning Fallacy)
    「準備に10分、駅まで5分。うん、間に合うな」。このように、私たちは物事にかかる時間を実際よりも短く、楽観的に見積もる傾向があります。これはノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマンも指摘する、強力な認知バイアス。予期せぬ信号待ちや忘れ物といった「不確定要素」を、計画から除外してしまうのです。
  2. 「間に合った」というスリルと達成感
    ギリギリで滑り込んだ時の、あの心臓がバクバクするスリルと、「やった!」という達成感。これが実は厄介な「報酬」となって、無意識のうちにギリギリの行動を強化してしまいます。「前回もこの時間で間に合ったから大丈夫」という成功体験が、次も同じ行動を繰り返させてしまうのです。

「余白」は無駄じゃない。最高のパフォーマンスを生むための投資

今回の経験から僕が学んだ最も大切なことは、人生における「意図的な余白」の重要性です。

これまで僕は、約束の時間にピッタリ着くことを「効率的」だと考えていました。しかし、それは間違いでした。本当の効率とは、パフォーマンスを最大化すること。そして、最高のパフォーマンスは、心に余裕があるときにこそ発揮されます。

  • 10分の「バッファ」を持つ: 電車に乗る時間を1本早める。約束の10分前には現地に着くように計画する。このたった10分が、遅延やトラブルへの耐性を生み、心を驚くほど穏やかにしてくれます。
  • 移動時間を「ご褒美タイム」に変える: 早く着いたことで生まれた時間を、「何もすることがない無駄な時間」ではなく、「好きなことができるご褒美タイム」と捉え直す。カフェで一息ついたり、読みたかった本を開いたり、公園のベンチで空を眺めたり。

この「余白」は、決して無駄な時間ではありません。むしろ、認知資源を回復させ、その後の仕事や活動の質を高めるための、極めて重要な「戦略的投資」なのです。

まとめ:人生という名の電車に、余裕をもって乗り込もう

あのギリギリの電車は、私に「時間通りに着くこと」以上の大切なことを教えてくれました。

それは、効率やスピードだけを追い求める人生は、常に何かに追われ、心をすり減らしていくということ。そして、人生を本当に豊かにするのは、計画の中に意図的に作り出した、穏やかで創造的な「余白」の時間であるということです。

次に電車に乗るときは、1本早い電車を選んでみませんか?
その5分、10分の余白が、あなたの1日を、そして人生を、もっと穏やかで生産的なものに変えてくれるはずですから。

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