「あの会社の経営は、まるで教科書通りだ」
この言葉を聞いたとき、あなたはどのような印象を持つでしょうか。「堅実で素晴らしい」と感じるか、それとも「融通が利かず面白みがない」と感じるか。
ビジネスの現場で頻繁に使われる「教科書通りの経営」という言葉。この言葉には、実は二つの全く異なる顔があります。今回は、この言葉が指す真の意味と、経営者が向き合うべき「理論」と「実践」の関係性について深掘りします。
1. 「教科書通り」が意味する二つの顔
まず、この言葉が指す具体的な状態を整理しましょう。文脈によって、その意味は180度変わります。
A. ポジティブな意味:原理原則に忠実な「王道経営」
専門家やコンサルタントが肯定的に使う場合、それは「経営のセオリー(定石)を外していない」ことを指します。
- 財務規律の遵守: 無茶な借入を避け、キャッシュフローを重視する。
- 論理的な戦略立案: 3C分析やSWOT分析などのフレームワークに基づき、勝算のある市場で戦う。
- 組織のガバナンス: コンプライアンスを守り、人事評価制度や指揮命令系統が整備されている。
これらは、過去の膨大な失敗と成功のデータから導き出された「生存確率を最大化するための知恵」です。これを徹底することは、決して簡単なことではありません。
B. ネガティブな意味:現場不在の「形式主義」
一方で、現場の社員や競合他社が揶揄して使う場合、それは「現実を見ていない」ことを指します。
- 過去の成功事例のコピー: 自社の状況や時代背景を無視して、他社の成功モデルをそのまま当てはめようとする。
- 過度なリスク回避: 「前例がない」「理論的裏付けがない」として、イノベーションの芽を摘む。
- 数値至上主義: 顧客の感情や従業員のモチベーションといった、定性的な(目に見えない)変数を計算に入れない。
2. なぜ「教科書通り」は批判されるのか?
多くの経営者が「教科書通り」を嫌う理由は、ビジネススクールで学ぶ理論(静的なモデル)と、現実のビジネス(動的なカオス)との間に決定的な乖離があるからです。
経営学の教科書は、複雑な事象を後付けで整理し、理解しやすく「モデル化」したものです。そこでは、しばしば以下の要素が捨象(切り捨て)されています。
- 「タイミング」という変数: 同じ戦略でも、導入するのが1年早いか遅いかで結果は逆転します。
- 「人間の感情」という不合理: 理論的に正しい指示でも、社員が「やりたくない」と思えば実行されません。
- 「運」の要素: 成功企業の事例分析は生存者バイアスがかかっており、同じことをしても運が悪ければ失敗します。
批判される「教科書通りの経営」とは、地図(教科書)だけを見て、目の前の天気(市場の変化)や地形(現場の状況)を見ずに進もうとする行為なのです。
3. 専門家が考える「真の教科書通り」とは
しかし、ここで重要な逆説があります。
優れた経営者ほど、実は誰よりも「教科書(基本)」を熟知しています。
彼らは教科書を「マニュアル(手順書)」としてではなく、「思考の補助線」として使っています。
- ピカソの絵画のように: パブロ・ピカソが抽象画を描く前に圧倒的なデッサン力(基礎)を持っていたように、型破りな経営をするには、まず「型」を知らなければなりません。「型」を知らずに暴れるのは「型破り」ではなく、単なる「形無し」です。
- 共通言語としての機能: 組織が大きくなればなるほど、「なぜその戦略をとるのか」を社員に説明するための論理(ロジック)が必要です。その際、経営理論は強力な共通言語になります。
真に優れた経営とは、「教科書の内容を9割守りつつ、勝負所の1割で意図的に教科書を裏切る」ことです。
結論:守破離の精神
「教科書通りの経営」という言葉の答えは、日本の武道や芸道における「守破離(しゅはり)」の概念に集約されます。
- 守: まずはセオリー通り、教科書通りの型を徹底して身につける。(財務や法務、マーケティングの基礎)
- 破: 現場の現実に合わせて、あえて型を崩し、応用する。(自社独自の調整)
- 離: 独自の境地に達し、新たなセオリーを作り出す。(イノベーション)
もし誰かに「君の経営は教科書通りだね」と言われたら、まずは自問してください。
それは「基本に忠実で強固だ」という意味なのか、それとも「思考停止して現実に適応できていない」という意味なのか。
教科書は、あなたを縛る鎖ではありません。荒野を歩くための羅針盤です。羅針盤を持ちつつも、最後は自分の目で道を決める。それこそが、経営の醍醐味ではないでしょうか。