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先日のブログでは、ギリギリの電車に乗ることで失われる「心の余白」についてお話ししました。あの記事には多くの方から「わかる!」「私もやりがちです」と共感の声をいただき、いかに多くの人が「ギリギリの攻防戦」を日常的に繰り広げているかを改めて実感しました。
しかし、あの日僕が失っていたのは、自分の心の平穏だけではなかったのです。もっと深刻で、取り返しのつきにくいもの――それは「他者からの信頼」と「未来の自分の選択肢」でした。
今日は、あのギリギリの電車が突きつけてきた、もう一つの厳しい現実についてお話ししたいと思います。
あなたの「ギリギリ」は、誰かの時間を奪っている
想像してみてください。あなたが誰かと10時に待ち合わせをしているとします。相手が10時ちょうどに、息を切らして「ごめん、間に合った!」と駆け込んできました。
あなたはどう感じますか?
「まあ、遅刻じゃないからセーフか」と思うかもしれません。しかし、心のどこかでこう感じていないでしょうか。
「この人、私のために余裕をもって来てくれなかったんだな」
「もし電車が少しでも遅れたら、私を待たせるつもりだったのかな?」
「もしかして、この約束はあまり重要視されていなかった…?」
口には出さずとも、小さな不信感の種がまかれます。たとえ結果的に間に合ったとしても、「常にリスクを前提に行動している」という姿勢そのものが、相手に無言のストレスを与え、関係性に微細なヒビを入れるのです。
これはビジネスの世界ではさらに深刻です。締め切りギリギリに成果物を提出する人は、どんなにその内容が素晴らしくても、「この人に任せると、いつもヒヤヒヤさせられる」「トラブル対応のバッファがない人だ」というレッテルを貼られてしまいます。
つまり、僕が一人でハラハラしていたあの電車の中で、僕は「時間に正確な人」という社会的信用を担保に、スリルという自分本位なギャンブルをしていたのと同じだったのです。間に合ったのは、ただ運が良かっただけ。その幸運に甘え続けることは、人間関係やキャリアにおける、静かな時限爆弾を抱えることに他なりません。
「最悪のシナリオ」を想像しない楽観主義の罠
さらに、あの日の僕は、もう一つ重大なことを見過ごしていました。それは「リスク管理」の視点の欠如です。
コンサルタントやプロジェクトマネージャーが必ず行うことに「ワーストケースシナリオ(最悪の事態の想定)」の洗い出しがあります。なぜなら、優秀な人ほど「もし〜だったら?」を常に考えているからです。
- もし、乗る予定の電車が人身事故で止まったら?
- もし、打ち合わせ先のビルでエレベーターが点検中だったら?
- もし、提出直前にPCがフリーズしたら?
僕の「ギリギリ行動」は、これらの「もしも」を一切考慮しない、「すべてがうまくいく」という根拠のない楽観主義の上に成り立っていました。これは、人生の航路図を一枚しか持たずに、荒波の海へ出るようなものです。
余裕をもって行動するということは、単に心を穏やかにするだけでなく、不測の事態が起きたときに、落ち着いて次の選択肢(代替ルート、代替案)を実行するための「戦略的な保険」をかける行為なのです。
早く駅に着いていれば、たとえ電車が止まっても、
「よし、それならバスで行こう」
「15分歩けば、隣の路線の駅に着けるな」
「最悪、タクシーを使っても間に合う。先に相手に一本連絡を入れておこう」
と、冷静に複数の選択肢から最適解を選ぶことができます。
つまり、時間的な「余白」は、そのまま「選択肢の豊富さ」に直結するのです。ギリギリの行動は、自ら未来の選択肢を一つ、また一つと手放していく行為だったのです。
まとめ:「間に合わせるプロ」から「余裕を生み出すプロ」へ
あの電車での一件以来、僕は自分の行動哲学を大きく変えることにしました。目指すのは、もはや「締め切りに間に合わせるプロ」ではありません。目指すべきは、「意図的に余裕を生み出し、あらゆる事態に備えるプロ」です。
これは、臆病になることとは違います。むしろ、自信があるからこそできる、積極的なリスクヘッジです。自分の能力や時間を過信せず、常に不確定要素が存在することを認め、それすらも楽しむくらいの余裕を持つ。
その余裕が、心の平穏を守り、他者からの信頼を育み、そして未来の自分の可能性を広げてくれる。
たった5分、1本早い電車に乗る。
その小さな一歩が、あなたの人生という航海を、ギャンブルから、より確実で豊かな旅へと変えてくれるはずです。今日からあなたも、「余裕を生み出すプロ」を目指してみませんか?