原宿はなぜ「聖地」になったのか?-メディアと街との関係の変遷から読み解く

「原宿」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?カラフルなファッション?クレープ?それとも、竹下通りを行き交う個性的な若者たちでしょうか。今や世界共通語となった「Kawaii」文化の中心地として、原宿は国内外から多くの人々を惹きつける特別な「場所」=聖地となっています。

でも、なぜ原宿はこれほどまでに特別な存在になったのでしょうか?単なる流行の発信地というだけでは説明がつきません。そこには、街のプレイヤーが、時代とともに変化するメディアを巧みに利用し、「原宿」という場所の価値を高めてきた経緯と、それを支えた様々なプレイヤーたちの存在がありました。

原宿がKawaiiの聖地へと進化してきた道のりを、メディア戦略とその担い手の変遷から深掘りしてみましょう!

注:この記事では80年代からはじめていますが、60-70年代、若者文化のスポットとなった原宿の歴史的な経緯はWikipedia「原宿」並びに「原宿のファッション」参考にできます。

目次

【1980~90年代】ストリートがメディアになる時:雑誌が加速した「場所の感覚」

80年代から90年代、原宿が若者文化の発信地として注目され始めた頃、主役となったメディアはファッション雑誌でした。『Olive(Wikipedia)』『Zipper(Wikipedia)』『CUTiE(Wikipedia)』といった雑誌、『FRUiTS (Wikipedia) 』などが、原宿の路上で個性的な格好をした若者たちを捉え、「ストリートスナップ」として紹介し始めます。

テレビや雑誌によるストリートの意味付け、ストーリー形成

これは、単にファッションを紹介する以上の意味を持っていました。雑誌というメディアが、原宿の「ストリート(路上)」を、単なる通路ではなく、「自己表現の舞台」であり、「他者に見られ、発見される公共空間」へと変容させたのです。都市理論でいうところの、物理的な空間(Space)が、意味や価値を持つ「場所(Place)」へと変わっていくプロセスそのものです。 原宿の「ホコ天」(=歩行者天国)。それは1977年から98年までの約20年間、カルチャーが誕生する街のシンボルでもありました。(ファッションスナップ記事80年代の表参道・原宿を大きく盛り上げた歩行者天国、「復活してほしい」が72%」)

  • プレイヤー:
    • 雑誌編集部、ストリートスナップカメラマン
  • メディア戦略:
    • ストリートスナップ: 個性を「発見」し、「原宿系」としてラベリング。
    • 読者モデル: 消費者(読者)を誌面に登場させ、「自分もなれるかも」という憧れと参加意識を醸成。
    • テレビとの連携: バラエティ番組などで取り上げ、全国的な認知度を獲得。

この戦略によって、「原宿に行けば、何か面白いものに出会える」「自分を自由に表現できる」という「場所の感覚(Sense of Place)」が、若者たちの間に共有されていきました。地方の若者が原宿を目指し、多様な人々が集まることで、さらに新しい文化が生まれる…そんなポジティブな循環が始まったのです。

【2000年代】ウェブが世界と繋ぐ:ネットワーク化するKawaii文化

2000年代に入ると、インターネットの普及が大きな転換点となります。これまで雑誌やテレビといったマスメディアが中心だった情報発信に、新たなプレイヤーが登場します。

インターネットによるブランド・クリエイターの発信

個人クリエイターやブランドオーナー(例えば、Kawaiiカルチャーのアイコン的存在である6%DOKIDOKIなど)が、ウェブサイトやブログを開設。物理的な店舗だけでなく、デジタルのネットワーク空間を通じて、直接ファンと繋がり、世界観を発信し始めます。

ストリートスナップもウェブサイトで公開され、瞬く間に世界中に拡散。「原宿 Kawaii」は、日本のローカルな文化から、グローバルなネットワーク社会(Network Society, Wikipediaで共有される現象へと進化しました。

  • プレイヤー:
    • 個人クリエイター、ブランド、ファッションブロガー、ウェブメディア、行政(クールジャパン)
  • メディア戦略:
    • 自社ウェブ/ブログ発信: ブランドの世界観をダイレクトに伝達。
    • 海外展開: ファッションショーやイベントで現地メディアやコミュニティと連携。
    • クールジャパン戦略: 行政が「Kawaii」を文化経済(Cultural Economyの資源と位置づけ、ソフトパワーとして海外にプロモーション。

この時代、原宿の文化は物理的な「場所」の制約を超え、グローバルなネットワーク上で価値を持つようになりました。それは、ローカルな文化がグローバルに拡散し、同時にグローバルな視線がローカル(原宿)に影響を与える「グローカリゼーション(Glocalization)」の典型例とも言えるでしょう。

【2010年代以降】誰もが発信者になる時代:加速するKawaiiの拡散力

そして2010年代以降、SNS(特にInstagram、Twitter(現: x) 、そしてTikTok)とインフルエンサーの時代が到来します。情報の流れはさらに加速し、その性質も大きく変化しました。

UGC(ユーザー生成コンテンツ)による発信の一般化

誰もがスマートフォンを持ち、簡単に写真や動画を撮影・投稿できるようになったことで、「今日のコーデ」「#原宿で買ったもの」「#カワイイスポット」といったリアルタイムな情報が、ハッシュタグ(#harajuku #kawaii)を通じて瞬時に世界中に拡散されるようになりました。

重要なのは、プロだけでなく、一般のユーザー(消費者)自身がコンテンツを生み出し、発信する(UGC: User Generated Contentsようになったことです。これは、雑誌時代の読者モデルに通じる、「消費者=発信者」モデルの究極形と言えます。

  • プレイヤー:
    • インフルエンサー(YouTuber, TikToker, Instagrammer)、ブランドSNS担当、一般ユーザー、観光プロモーション団体
  • メディア戦略:
    • SNSでのリアルタイム発信: 日常的な情報共有と共感の醸成。
    • インフルエンサーマーケティング: 影響力のある個人を通じた話題作り。
    • UGCの活用: 一般ユーザーの投稿が自然発生的な宣伝となる。

都市理論、特に消費社会論の視点で見ると、原宿のファッションやアイテムは、単なるモノではなく、特定のライフスタイルや価値観を示す「記号」として消費されています。SNSは、この「記号」の生産と流通を劇的に加速させるプラットフォームとなったのです。原宿に行かなくても、オンライン上で「原宿的な体験」を共有し、コミュニティに参加できるようになったことも大きな変化です。

インスタグラム「竹下通り」の例:
ユーザー発信のコンテンツも多い

なぜ原宿は特別なのか?都市理論で読み解く成功の鍵

原宿のメディア戦略を振り返ると、いくつかの成功要因が見えてきます。

  1. 「場所の力」と「ネットワークの力」の融合: 物理的に人が集まるストリート(場所)の熱気を、時代ごとの最適なメディア(ネットワーク)に乗せて拡散させてきた点。デジタル時代でも、リアルな場の魅力が失われていないことが重要です。
  2. 多様な主体のエコシステム: 雑誌、クリエイター、ブランド、消費者(ファン)、インフルエンサー、そして行政まで、様々なプレイヤーがそれぞれの立場で「原宿 Kawaii」を発信し、相互に影響を与え合うエコシステムが形成されています。
  3. 「個人の表現」へのフォーカス: ストリートスナップからSNSのUGCまで、常に「リアルな個人の表現」を尊重し、それを発信の中心に据えてきたこと。これが共感を呼び、ムーブメントを持続させる力となっています。
  4. 文化と経済の好循環: ファッションやカルチャーが経済的な価値(ブランド、観光)を生み出し、その経済的な成功がさらなる文化的な創造性を刺激するという、文化経済の好循環が生まれています。

未来の原宿:仮想空間と「場所」のこれから

現在(2025年)、メタバースやバーチャル空間で「もう一つの原宿」を創り出そうという動きも活発化しています。AIを活用したパーソナライズドな情報発信や、グローバルなインフルエンサーとの連携もさらに進むでしょう。

物理的な「場所」としての原宿の意味合いは、今後どのように変化していくのでしょうか?デジタル技術が進化しても、人々がリアルな場で出会い、交流し、互いに影響を受け合うことの価値は、簡単にはなくならないはずです。

原宿の事例は、都市がいかにして文化を生み出し、メディアを通じてその価値を世界に伝え、「特別な場所」としてのアイデンティティを築き上げていくかを示す、非常に興味深いケーススタディと言えるでしょう。

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