「私の仕事は、私より賢い人たちを結びつけることだ。なぜなら、賢い人同士はコミュニケーションをしないからね」
これは、あるハイテク大企業の経営者が講演会で語った言葉です。
一見すると、少し皮肉めいた、あるいは謙遜の言葉のように聞こえるかもしれません。しかし、この短い一文には、組織の成功、イノベーション、そして現代のリーダーシップの本質を突く、非常に深い洞察が隠されています。
この記事では、なぜ「賢い人」はコミュニケーションが苦手なのか、そして彼らを「結びつける」ことにはどのような価値があるのかを、深掘りしていきます。
なぜ「賢い人」はコミュニケーションしないのか?
ここで言う「賢い人」とは、単にIQが高い人という意味ではありません。特定の分野で深い知識と経験を持つ「専門家」と捉えると、本質が見えてきます。エンジニア、デザイナー、マーケター、研究者、弁護士…。彼らは間違いなく、それぞれの領域における「賢い人」です。しかし、彼らが集まると、しばしば円滑なコミュニケーションが阻害されます。その理由は、主に3つ考えられます。
1. 専門性の壁と「言語」の違い(サイロ化)
専門家は、長年の訓練によって培われた独自の「言語」と「思考のフレームワーク」を持っています。
- エンジニアは、ロジックと実現可能性で物事を考えます。
- デザイナーは、ユーザー体験と美意識を重視します。
- マーケターは、市場の反応と数字(データ)を基準に判断します。
彼らはそれぞれ、自分の「言語」が最も正しく、合理的だと信じています。そのため、他分野の専門家と話すとき、まるで外国語で会話しているかのように話が噛み合わなくなるのです。これが、組織内で部門間の連携が取れなくなる「サイロ化」と呼ばれる現象です。それぞれの専門家が、自分の専門領域という「サイロ(貯蔵庫)」に閉じこもってしまう状態です。
2. 認知バイアスと専門家のプライド
人間には、思考の癖である「認知バイアス」がありますが、専門家は特に陥りやすい罠があります。
- 専門家の呪縛(Curse of Knowledge): 自分が知っていることは、他人も当然知っているはずだと思い込んでしまうバイアスです。そのため、説明を省略したり、「なぜこんなことも分からないんだ?」と相手を見下してしまったりします。
- 確証バイアス(Confirmation Bias): 自分の考えや仮説を支持する情報ばかりを集め、それに反する情報を無視・軽視する傾向です。自分の専門性に自信があるほど、このバイアスは強くなり、他者の意見を受け入れにくくなります。
こうしたバイアスに、自らの専門領域に対する高いプライドが加わると、「自分のやり方が一番だ」という思考に固執し、他者との協調を拒んでしまうのです。
3. 思考の深さとスピードの違い
専門家は、自分の領域において思考のプロセスが極めて高速化・自動化されています。長年の経験から、膨大な情報の中から瞬時に重要なポイントを抽出し、結論に至ることができます。
しかし、その思考プロセスは、本人にとっては「当たり前」すぎて、言語化して説明するのが非常に困難、あるいは面倒に感じられます。
「なぜそうなるのか?」と聞かれても、「考えれば分かるだろう」「これは自明の理だ」と感じてしまい、コミュニケーションそのものを放棄してしまうのです。彼らの頭の中では、AからZまでの結論が一瞬で見えているのに、他者はAからB、BからCへと段階的にしか進めません。この思考スピードのギャップが、対話を困難にする一因となります。
では、なぜ彼らを「結びつける」ことに価値があるのか?
専門家同士がコミュニケーションをしないのであれば、それぞれが自分の仕事に集中すれば良いのではないか?そう思うかもしれません。しかし、ジャック・マー氏が「結びつけること」を自らの仕事だと語る理由は、そこにこそイノベーションの源泉があるからです。
1. 「知の結合」こそがイノベーションを生む
歴史を振り返ってみても、画期的なアイデアやプロダクトは、異なる分野の知識が「衝突」し、「融合」したときに生まれています。
- AppleのiPhone: スティーブ・ジョブズは、テクノロジー(技術者)とリベラルアーツ(デザイナーやアーティスト)の交差点にこそ魔法が生まれると信じていました。洗練されたデザインと、直感的なユーザーインターフェースという、一見すると相容れない要素を結びつけたからこそ、スマートフォン革命が起きたのです。
- ピクサーのアニメーション: コンピュータサイエンスの天才たちと、ストーリーテリングのプロであるアニメーターたち。全く異なる文化を持つ彼らを結びつけ、協力させることで、『トイ・ストーリー』のようなCGアニメーションの金字塔が生まれました。
もし、エンジニアがエンジニアとだけ、デザイナーがデザイナーとだけ話をしていたら、こうしたブレークスルーは決して生まれなかったでしょう。賢い人たちが持つ、それぞれの深い「知」は、それ単体では一点の輝きに過ぎません。しかし、それらが結びつくことで、星座のように壮大な価値を描き出すのです。
2. リーダーは「翻訳者」であり「触媒」である
リーダーの役割は、単に優秀な人を集めてくることではありません。彼の真の仕事は、異なる言語を話す専門家たちの間に立ち、彼らの言葉を「翻訳」することです。
- 「デザイナーが言っている『ユーザー体験の向上』とは、ビジネスの言葉で言うと『顧客ロイヤルティの向上とリピート率の改善』につながるんだ」
- 「エンジニアが懸念している『技術的負債』は、将来の『事業スピードの低下リスク』そのものなんだ」
このように、それぞれの専門家の言葉を、誰もが理解できる共通の目標やビジョンに変換し、繋ぎ合わせる。時には、意見がぶつかり合う専門家たちの間に入り、議論を化学反応させる「触媒」としての役割も担います。
3. 「心理的安全性」という土壌を作る
賢い人、プライドの高い専門家が、自分の意見を率直に表明するには、何を言っても罰せられたり、バカにされたりしないという「心理的安全性」が不可欠です。
「そんなことも知らないのか」と専門家同士がマウンティングし合うような環境では、誰もリスクを取って新しい提案をしようとは思いません。異質な意見を歓迎し、失敗を許容する文化をリーダーが率先して作ることで、初めて賢い人たちは安心して心を開き、建設的な対話を始めることができるのです。
小結:あなたの職場にも「繋げるリーダー」はいますか?
「賢い人をつなげる」という言葉は、現代のあらゆる組織にとって重要な教訓を与えてくれます。
- 専門家は孤立しやすい存在である。
- イノベーションは、異質な知性の衝突と融合から生まれる。
- リーダーの最も重要な仕事は、賢い人たちを「翻訳」し、「触媒」となり、「心理的に安全な場」を提供して、彼らを結びつけることである。
あなたの職場を見渡してみてください。部署間の壁は高くなっていませんか?「あの人たちは話が通じない」と、諦めていませんか?
もしかしたら、そこにこそ大きなチャンスが眠っているのかもしれません。そして、その「賢い人たち」を結びつける役割は、リーダーだけでなく、私たち一人ひとりが担うことができるはずです。
次に専門外の人と話すときは、少しだけ「翻訳者」になってみてください。相手の「言語」を理解しようと努めるだけで、世界はもっと面白くなるはずです。天才たちの協奏曲を奏でる指揮者は、あなたかもしれません。
具体的にどうやって?「賢い人」の結びつけ方 5つの秘訣
「では、具体的にどうやって彼らを結びつけるのか?」口で言うのは簡単ですが、プライドが高く、独自の言語と思考を持つ専門家たちをまとめるのは至難の業です。
ジャック・マー氏とアリババの成功事例から、その具体的な方法を5つの秘訣として紐解いていきましょう。
秘訣1:共通の「北極星」を掲げる(ビジョンとミッション)
専門家は、放っておくと自分の専門分野という「沼」にどんどん深く潜っていきます。彼らの視線を上げさせ、同じ方向を向かせるために最も重要なのが、誰もが共感できる強力なビジョンとミッションです。
例えば、ジャック・マー氏は、アリババ創業当初から「讓天下沒有難做的生意(世界中のビジネスを簡単にすること)」という壮大なミッションを掲げ続けました。
- エンジニアは、「世界中のビジネスを簡単にするための最高のプラットフォーム」を構築するという目標に向かいます。
- 営業担当は、「中小企業のビジネスを簡単にするための手助け」を使命とします。
- 法務担当は、「誰もが安心して取引できるルール」を作ることに貢献します。
専門性は違えど、全員が「中小企業を助ける」という共通の北極星を見ているのです。専門家同士の意見が対立したときも、「どちらがよりミッションの実現に貢献できるか?」という共通の判断基準に立ち返ることができます。これは、単なるお題目ではなく、組織を動かす強力な羅針盤なのです。
秘訣2:リーダーが「最強の翻訳家」になる(ストーリーテリング)
ジャック・マー氏は、複雑なことを驚くほどシンプルな言葉で語る天才です。彼は、専門家たちが使う難解な「言語」を、誰もが理解できる比喩や物語に「翻訳」して伝えます。
例えば、彼はアリババの戦略を「鉄のトライアングル」と呼び、ECサイト(情報)、決済システム(カネ)、物流ネットワーク(モノ)の3つが不可欠だと説明しました。これにより、各分野の専門家は、自分の仕事が全体の戦略のどの部分を担っているのかを直感的に理解できます。
また、技術の重要性を語るときも、「技術はそれ自体が目的ではない。顧客の問題を解決するための道具だ(参考リンクEastwood Houston」と、常にビジネスや顧客の文脈に翻訳して語ります。この「翻訳」能力こそが、異なる専門家たちの間に橋を架けるのです。
秘訣3:「出会いの場」を意図的に作る(組織デザイン)
賢い人たちは、自然には交わりません。だからこそ、リーダーは彼らが「出会わざるを得ない状況」を仕組みとしてデザインする必要があります。
- クロスファンクショナルチーム(CFT): プロジェクトの初期段階から、エンジニア、デザイナー、マーケター、営業など、異なる職種の専門家を集めてチームを編成します。これにより、企画の段階から多様な視点が取り入れられ、「後工程」で発生する手戻りや対立を未然に防ぎます。アリババでは、こうした小規模なチームが機動的に動くことで、巨大組織でありながらスタートアップのようなスピードを維持していると言われています。
- ジョブローテーションと社内公募制度: 意図的に人材を異動させ、異なる分野の仕事を経験させることで、個人の視野を広げます元エンジニアが企画部門に異動すれば、技術的な視点を持った企画が生まれますし、何より元いた部署の「言語」や「事情」を理解できるため、部門間の潤滑油として機能します。
- 物理的なオフィス設計:社員同士が偶然出会い、雑談が生まれるような「場」の設計も重要です。カフェテリアや共有スペースを意図的に作り、部門を超えた偶発的なコミュニケーション(セレンディピティ)を誘発するのです。イノベーションの多くは、会議室ではなく、こうしたリラックスした雑談の中から生まれます。
秘訣4:「健全な衝突」を奨励し、仲裁する(ファシリテーション)
異なる意見のぶつかり合いは、イノベーションに不可欠です。しかし、それは単なる喧嘩や感情的な対立であってはなりません。リーダーの重要な役割は、「健全な衝突」を促し、それが破壊的な方向へ向かわないよう仲裁することです。
ジャック・マー氏は、会議で激しい議論が交わされることを歓迎したと言われています。彼はあえて結論を出さず、各専門家に徹底的に議論させます。
- なぜそう思うのか?根拠は?
- 別の視点はないか?リスクは?
- どうすれば両者の意見を両立できるか?
このように、議論を深める問いを投げかけ、ファシリテーターとして機能します。そして、議論が平行線を辿ったり、感情的になったりした際には、すっと間に入り、先述の「共通のミッション」に立ち返らせることで、議論を建設的な方向へと導きます。彼は裁判官のようにどちらが正しいかを裁くのではなく、異なる意見を統合してより高い次元の結論へと導く「指揮者」なのです。
秘訣5:「失敗する権利」を与える(心理的安全性)
これが最も重要かもしれません。賢く、プライドの高い専門家が、自分の専門外のことに口を出したり、前例のないアイデアを提案したりするには、相当な勇気が必要です。「そんなことも知らないのか」「失敗したらどうするんだ」という恐怖は、彼らの口を固く閉ざしてしまいます。
ジャック・マー氏は、「失敗を恐れるな」と繰り返し説いてきました。アリババの成功の裏には、数え切れないほどの失敗プロジェクトが存在します。重要なのは、失敗から学び、次に活かすことです。
リーダーが「失敗してもいい。責任は私が取る」という姿勢を明確に示すことで、初めて組織に心理的安全性が生まれます。専門家たちは、自分の評価を気にすることなく、自由闊達に意見を交換し、リスクを取って挑戦できるようになるのです。この「失敗する権利」こそが、賢い人たちを結びつけ、彼らのポテンシャルを最大限に引き出すための土壌となります。
まとめ
「賢い人の結びつけ方」は、単一の特効薬ではありません。
- ビジョンで進むべき方向を示し、
- ストーリーで相互理解を進め、
- 組織デザインで出会いを促し、
- ファシリテーションで健全な成長を助け、
- 心理的安全性で外部の脅威から守る。
これら全てが組み合わさるとイノベーションが起きやすくなります。
リーダーの役割は、自らが一番賢いプレイヤーであることではありません。多様な才能が育つための最高の環境を整えること。冒頭の経営者の言葉は、私たちに現代のリーダーシップのあり方をそう教えてくれているのです。