ずっと気になっていることがあります。
高価な服を身につけているのに、どこか落ち着かない印象の人がいます。反対に、飾り気のない普段着なのに、なぜか品のよさを感じさせる人もいます。
上品と下品の違いは、お金でも、学歴でも、持ち物でもないようです。では、何がその違いを生んでいるのでしょうか。いろいろな場面を思い返しながら考えてみると、大きく三つのことに行き着きました。
欲しい気持ちを、少しだけ待たせる
「品がないな」と感じる場面を思い浮かべてみます。
食べ放題で皿いっぱいに料理を盛る。会話の中で、持ち物の値段をそれとなく伝える。聞かれていない自慢話を続ける。大きな声で際どい話をする。
こうした場面に共通しているのは、食べたい、得をしたい、認められたいといった気持ちが、そのまま表に出ていることです。
ただ、上品な人に欲がないわけではありません。おいしいものは食べたいし、お金も大切だし、褒められればうれしい。違いは、その気持ちをすぐに外へ出さず、少しだけ待たせて、形を整えてから出していることです。
たとえば、空腹でも最初のひと口を急がない。いい買い物をしても、値段の話はしない。そのわずかな「間」が、落ち着きや品として相手に伝わるのだと思います。
自分に視線を集めない
二つ目は、その人のふるまいが周りの視線をどこへ向けるか、ということです。
大きな声、目立つロゴ、過剰な飾り、さりげない張り合い。これらはどれも、「自分を見てほしい」という合図になっています。気づかないうちに、周りの人を自分の観客にしてしまうのです。
上品な人は、視線を自分ではなく、相手やその場のほうへ向けています。自分が主役でなくても気にならない。話している相手のことを、自分のことより少し大切に扱っている。
本当に余裕のある人ほど、持ち物が控えめだという話をよく聞きます。誰かに認めてもらう必要がないから、見せる必要もない。その静かな満ち足りた感じが、品のよさとして伝わるのでしょう。
上品に見せようとしない
ここが、いちばん難しいところかもしれません。
上品に見られようと頑張っていることが伝わると、それはかえって品のなさに見えてしまいます。気取った言葉づかいや、「わかっている人」としてのふるまいに、どこか居心地の悪さを感じた経験はないでしょうか。
それは、「上品だと思われたい」という気持ちそのものが、認められたいという欲の表れだからです。一つ目の話に戻ってしまうのですね。
上品さは、目指したとたんに遠ざかっていくものです。日々の小さな選択の積み重ねから、結果としてにじみ出るものなのだと思います。
その場に合っているか
もう一つ、大切なことがあります。
お祭りで声を上げて笑うのは自然なことですが、静かな式の場で同じことをすれば、周りは戸惑います。居酒屋の賑やかさと、落ち着いた食事の席の賑やかさも、受け取られ方が違います。
上品かどうかは、ふるまいそのものよりも、そのふるまいが場に合っているかで決まる部分が大きいのです。
だから、皆が打ち解けている席で一人だけ堅苦しくしているのも、少しずれてしまうことがあります。上品さとは、行儀よくすることではなく、その場の空気を感じとる細やかさなのかもしれません。
下品さにも、良いところがある
ここまで書いてきて、少し付け加えておきたいことがあります。
「上品」「下品」という言葉は、ときに人を見下すために使われてきました。品のよい振る舞いを身につけるには、時間や環境に恵まれる必要もあります。誰かを「下品だ」と言うとき、そこに自分を上に置きたい気持ちが混じっていないか、ときどき振り返ってもいいのかもしれません。
それに、いわゆる下品なものには、勢いや生命力があります。飾らない笑い声や、遠慮のない熱気に救われることもあります。上品さばかりを求めると、どこか息苦しく、窮屈になってしまうこともあるでしょう。
おわりに
結局のところ、上品と下品を分けているのは、次の問いなのだと思います。
> 自分の気持ちを、相手に押しつけているか。それとも、自分の中で引き受けているか。
上品な人は、欲を消しているわけではありません。自分の気持ちを自分で受けとめ、そのうえで、周りに少しの余白を残しています。
高価な服を着ていても落ち着かない人と、普段着でも品のある人。その違いは、身につけているものではなく、周りにどれだけゆとりを残しているかにあるのではないでしょうか。